パワハラ企業日記 最終回〜会社から100万もらう

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彼女のことをバカにされて
キレてしまった私は、

決してその場で、怒りをおさめた。

今まで温めていた計画を
無慈悲に実行しようと決めたのだ。

いつ、どこで、誰に何をされたかを書いたノートは
3か月の間にノート1冊分とまではいかないが、
半分は埋まっていた。

それは、今の悲惨さを伝えるには十分であった。



初めから読むにはコチラ 


この計画を実行するには、
会社をやめる覚悟を決めないといけないのだが、

副収入は月に10万くらいはあったので、
安易な計算だったのだが
会社をやめて、もっと時間が取れれば
その倍は行くと思った。

今まで、私の尊厳を傷つけた者たちは
絶対に許してはいけないのだ。

本社での私を苦しめた上司のことから、
物流センターで私を面白いように弄び、
精神的に追い込んだ派遣社員についても
制裁を加えなければいけない。

そして、そういう歪んだ組織を作ってしまった
会社についてもなんらかの処置が必要だ。

私は、仕事終わりに
物流センター長に相談をもちかけた。

この人は非常に呑気な性格なので、
私に起こっていることは何もしらない

会議室で今まで書き溜めたノートを淡々と読み
今まで私に何が起きたかを淡々と説明した。

淡々と説明したつもりだったが、
涙がこみ上げてきてしまった。

すると、

『そんなことが、あったのか知らんかった。
しんどい思いさせたな。
もっと早く相談してくれれば、良かったのに』

確かに早く相談できていれば、
良かったのだが、

中途半端な対処をされると
いじめ、攻撃がエスカレートするから
言えないのだ。

だから、私が証拠を集めて
徹底的にやろうとしているのだ。

そして、
『やめるつもりがあると』
はっきり伝えた。

一応は重く受け止めてくれたらしい。

そして、次の日の午後
本社の人事部長が異常自体を察知して
私に会いに来た。

そして、また、ノートに書いてあることを
淡々と読み上げていった。

本社での私の上司から受けた屈辱から、
物流センターで起きたことを全て話した。

やはり、読み上げるだけだとはいえ
感情がこみ上げてきてしまう。

人事部長は私が喋ったことを
時系列にまとめて、
ノートに書き取っていった。

真相は定かではないが、

物流センターへの異動は、
会社の全体的な業務を覚えてもらうことが狙いの
ジョブローテーションだったということ、

そして、しっかり評価してくれている人はいる
ということも伝えられた。

確かに思い当たる節はあるので、
もしかしたら、そうかもと思ったし、

物流センターに異動になって
数年のちに本社へ復帰している人も何人もいる。

しかし、当時の私はそれを想像できなほどに
追い詰められていたのである。

『追い込んだみたいで、すまなかった。
希望するなら本社に戻ってくるか?』

また、あの上司に会うと思うと
憂鬱なのでノーと答えた。

そして、今回の行動の本当の目的は
あの上司がしたことを皆に知らしめ

たとえ泥仕合いになろうとも
痛い目に合わすことだ。

そして、
人事部長に
私が被害にあっている時の音声を
録音してあることを伝え、

悔しいから絶対に許せない
気がすむまで闘う意志があると伝えた。

人事部長は本社に戻り、

私は次の日から
工場の生産ラインを手伝うことになった

単純な仕事であったが、
あのくだらないイジメに悩むことはなくなり、
久しぶりにまともな仕事をしているなと感じた。

それと時を同じくして、
水面下では
物流センターの全社員、派遣社員、
そして、本社の一部社員を対象に
人事部長による面談が行われた。

なんのための面談かはわからないが、
事態を重く見て、組織の人間関係とか

社員が今の職場が働きやすいかとか
そんなことを聞いていたのであろう。

もちろん、私のことも聞かれたであろう。

そして、1〜2週間くらいしてであろうか、
再度、人事部長と話すことになった。

まず1つ目に伝えられたことは、

社長も私のことを気にかけてくれており、
海外で働いた経験のある私に期待していた、

今回の物流センターへの異動も
他の仕事も理解して欲しいという目的で
ジョブローテーションのつもりだったが、

悲惨な目に合わせて、申し訳なかった、
希望するなら本社へもどすとのことでした、

精神的に弱っている時に
このような正直うれしい言葉をかけられると

張り詰めていたものが緩んでしまい、
報われたと思い涙が出てきそうになった。

しかし、ここは交渉の場である。

細く、しかし深く深呼吸をし、
感情を抑えた。

そして、もう一つは
どうしても辞める意志が変わらないというのであれば、

今回の事情も考慮して、
特別に退職金として100万円の支払い

それと引っ越し費用を
全額負担するという提案であった。

私は勤続3年以下なので、
本来であれば、
退職金は手に入らないものであった。

もともとは
私に屈辱を与えてきた奴らに
捨て身で泥仕合いになろうとも
リベンジをするつもりであったので、

退職金というのは、
まさに予想もしなかった展開であった。

退職金という名の示談金だと
私は解釈した。

もう騒ぎは大きくするなということだ

さきほどの社長からの
メッセージで認めてくれている人も
いるということが分かったので
だいぶ心もほぐれていたし、

泥仕合いは
復讐するだけの誰も得しない結果に
終わることは見えていたので
得策ではないと考えた。

そそて、人事部長の提案を
受け入れることにした。

そこからの展開は早かった

退職届を提出し

役所のいろんな手続きをすまし、

アパートを引払い、
私は実家に戻ってきた。

安定収入がなくなる不安は
あったが、

今までの蓄えと退職金があったし、
実家暮らしなら1年間くらいは大丈夫だと思い、
1ヶ月くらいはゆっくりすることにした。

何よりもう誰もわたしのことを
苦しめる人もいなくなったし、
ストレスからも解放されたのだ。

それは、

桜が咲くにはちょっと早いが
だんだんと日があったかくなってきている
3月の中旬ごろ、

いい天気なので外に出て
庭のアウトドアチェアに座り、
ソフトクリームを食べながら
ボケーっとしている。

その時、花とか、草とか、葉っぱとかが
こんなにも綺麗なものだったんだなと
久しぶりに気づいた。

今まで視界が黄ばんでいたのが
汚いフィルターがはずれて
鮮明に見えるようになった気がした

まだ、少ないかもしれないけど
一応は自分で稼ぐ力は身につけ

自由を勝ち取ったのである。

今までの過去を振り返っても
この時より気分が爽快だったことはない。

終わり。

とりあえずですが、
これで終わりです。

ここから先も山あり谷ありの人生を
歩んでいます。

この出来事に関して、
もちろん私に非があるところ
あったと思います。

日大タックル事件とか
パワハラ、モラハラの
ニュースをよく見るので

私の経験を最後まで書ききって
みようと思った次第です。

いままでお付き合いいただき
ありがとうございました。

今後の情報発信にもご期待ください。

最後に
『自由とは勝ち取るものである。
与えらるものではない。』

小塚。

追伸、
少し会社でやりとりをしてた人からの
情報ですが、

ベテラン派遣社員たちは
契約打ち切りになったらしいです。

私を苦しめた上司は、出世をし
部長から本部長になったそうです。

立場の弱い者は切り捨てられ、

たとえ悪いことをしても、
強い者はさらに強くなるみたいです。

追追伸、

このメルマガを書くにあたり、
久しぶりに会社のホームページを
みたのですが、

上司との関係が近く、
非常に風通しの良い会社だと
書いてありました。

ここ数年で変わったのでしょうか。

それとも、私の見てきたものは
別のものだったのでしょうか?

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